正文

15 雁/雁

日本近代文學(xué)名作鑒賞:漢、日 作者:譚晶華 著


15 雁/がん

森鷗外

【作品梗概】

主人公阿玉的家庭雖然很貧窮,可是她一直在父親的厚愛(ài)下長(zhǎng)大。一個(gè)來(lái)調(diào)查戶(hù)籍的巡警欺騙了純潔的阿玉,娶她為妻。當(dāng)阿玉知道巡警在家鄉(xiāng)已有妻室時(shí)氣得自殺未遂。后來(lái),阿玉為了父親的幸福,又答應(yīng)嫁給末造。末造原來(lái)是大學(xué)的勤雜工,他用積攢的錢(qián)放高利貸發(fā)了財(cái),看到阿玉后愛(ài)慕她的美貌便娶她為妾,讓阿玉住在大學(xué)后面無(wú)緣坂的妾宅中。阿玉的父親也因此在池端有了一個(gè)住處。阿玉對(duì)末造的妻室和職業(yè)一無(wú)所知,平時(shí)末造不在時(shí),只有她和傭人住在一起。阿玉得知末造的職業(yè)后,才知道自己再次受了欺騙。人們罵她是高利貸者的小老婆,她只能默默地忍受這種侮辱。以后,末造的妻子也隱約察覺(jué)到丈夫納妾的秘密,不時(shí)對(duì)末造盤(pán)問(wèn),末造總是狡猾地進(jìn)行欺瞞。夫妻之間的不和與爭(zhēng)吵使末造更加寵愛(ài)阿玉,然而,他不曾想到,阿玉在孤獨(dú)的生活中逐漸開(kāi)始自我覺(jué)醒了。

醫(yī)科大學(xué)生岡田是個(gè)美男子,生活態(tài)度嚴(yán)肅且有規(guī)律,每天傍晚有散步的習(xí)慣,總要從阿玉門(mén)前經(jīng)過(guò)。阿玉被年輕英俊的岡田深深地吸引。岡田也對(duì)阿玉有了好感。在枯燥單調(diào)的生活中等候?qū)飶拈T(mén)前經(jīng)過(guò)成了阿玉的樂(lè)趣。有一天,一條青蛇襲擊了阿玉家的籠中紅雀,正好散步經(jīng)過(guò)她家門(mén)口的岡田幫她打死了蛇,以此為契機(jī),兩人開(kāi)始有了交談,阿玉心中對(duì)岡田的思慕之情與日俱增。有一天,她趁末造去千葉不在家的空當(dāng),下決心邀岡田進(jìn)門(mén)。然而,這一天岡田并非單獨(dú)一人,而是和朋友一起散步而至,使阿玉痛失了僅有的、也是最后的與意中人單獨(dú)相處的良機(jī),因?yàn)閷W(xué)校突然決定岡田去德國(guó)留學(xué),這一天是他在本鄉(xiāng)民宿居住的最后一天。阿玉只能久久凝視著心愛(ài)的岡田,她的美好幻想被無(wú)情地化為泡影。這一天下午,岡田和朋友在不忍池畔向湖里投石子玩,不料岡田投出的石子正好擊中一只大雁,這只不幸死去的大雁象征著禁錮在妾宅之中的阿玉的命運(yùn)。

【作品鑒賞】

《雁》于1911年至1913年在文學(xué)雜志《昴星》上連載,1915年由粗山書(shū)店出版單行本。作品問(wèn)世后,多次被改編成戲劇、電影和電視劇,是森鷗外作品中讀者最多的一部名作,也是作者完成的現(xiàn)代題材作品中唯一的一部長(zhǎng)篇小說(shuō)。作品通過(guò)岡田的朋友“我”,用回憶的方式寫(xiě)成,它描寫(xiě)了在人生道路上好不容易自我覺(jué)醒了的主人公阿玉枉受挫折的過(guò)程,反映了生活在明治10年代(1880年前后)的日本女性的哀傷和她們所遭受到的時(shí)代的挫折。阿玉是個(gè)只能任憑命運(yùn)擺布的善良的婦女,作者把阿玉從一個(gè)純潔、不諳世事的姑娘到逐漸染上妾根性的青年婦女,進(jìn)而又意識(shí)到人類(lèi)最可貴的真情,認(rèn)識(shí)到自身的價(jià)值并悄悄愛(ài)著岡田直到最后夢(mèng)想破滅的整個(gè)變化過(guò)程中的微妙的心理狀況寫(xiě)得細(xì)致入微、生動(dòng)飛揚(yáng)。此外,中年男子末造的形象塑造也很成功,他從一個(gè)大學(xué)勤雜工成為暴發(fā)戶(hù)以及對(duì)妻妾不同的心理描寫(xiě)顯得頗有色彩。其他一些出場(chǎng)人物也都寫(xiě)得恰到好處。

本作品有不少情節(jié)都是偶然發(fā)生的:末造買(mǎi)紅雀、岡田散步路經(jīng)無(wú)緣坂、阿玉決定趁末造不在家時(shí)向?qū)锿侣缎穆晻r(shí)岡田和朋友在一起以及岡田無(wú)意投出的石塊正好擊死大雁等全是偶發(fā)事件,但正是這些偶然的重合,使得阿玉覺(jué)醒并在心中萌發(fā)了真正的愛(ài)情,同樣又使她的美好幻想破滅,一種必然性存在于這些偶然性之中。這種寫(xiě)法富有浪漫色彩,與自然主義平板單調(diào)的記敘式寫(xiě)作方法大相徑庭,形成了強(qiáng)烈的對(duì)照。這部小說(shuō)首尾一致,結(jié)構(gòu)完整,有較強(qiáng)的論理性,作者把科學(xué)的觀察和精湛的藝術(shù)巧妙地結(jié)合起來(lái),這在日本近代小說(shuō)中是不多見(jiàn)的。

選文[1]

そしてそのあたまなかには、きわめてらっかんてき寫(xiě)しゃしょうおう來(lái)らいしている。いったいおんななにごとによらずけっしんするまでにはどくほどまよって、とつおいつするくせに、すでけっしんしたとなると、おとこのようにゆうべんしないで、oeillèresオョイエエル[2]よそおわれたうまのように、むこうばかり見(jiàn)もう進(jìn)しんするものである。りょのあるおとこにはいだかしむる[3]ほどしょうがいぶつぜんよこたわっていても、おんなはそれをもののくずともしない。それでどうかするとおとこのあえてせぬことをあえてして、おもいのほかにせいこうすることもある。おたまおかせっきんしようとするのに、だいさんしゃがいてかんさつしたら、もどかしさにえまいとおもわれるほど、しゅんじゅんしていたが、けさすえぞうつとっていとまごい來(lái)てから、おいはらませた[4]ふねのように、こころざきしむかってはしになった。それでうめをせきてて、おやもとかえしてやったのである。じゃになるすえぞうってとまる。じょちゅううめおやいえかえってとまる。これからあすのあさまでは、誰(shuí)だれにもせいちゅうせられることの無(wú)うえだとかんずるのが、おたまのためにはまずかいでたまらない。そしてこうとんとんびょうこと運(yùn)はこんでくのが、しゅうきょくもくてきよう達(dá)たっせられるぜんちょうでなくてはならぬようにおもわれる。きょうにかぎっておかさんが內(nèi)うちまえをおとおりなさらぬことはけっして無(wú)い。ゆきかえりとおりなさるもあるのだから、どうかしていちわれずにしまうにしても、とも見(jiàn)のがすようなことは無(wú)い。きょうはどんなせいはらってもものけずにはかない。おもってものけるからは、あのかたあしめられぬはず無(wú)い。わたしはいやしいめかけおとしている。しかもこうがしめかけになっている。だけれどむすめでいた時(shí)ときよりうつくしくはなっても、みにくくはなっていない。そのうえどうしたのがおとこるとうことは、あわせったもっけのさいわい[5]に、だいかって來(lái)ているのである。して見(jiàn)れば、まさかおかさんにいちもなくいやおんなだとおもわれることはあるまい。いや。そんなことたしかに無(wú)い。いやおんなだとおもっておいでなら、かお見(jiàn)あわせるたびれいをしてくださるはず無(wú)い。いつかへびころしてくださったのだってそうだ。あれがどこの內(nèi)うち來(lái)ごとでも、きっとしてくださったのだとうわけではあるまい。しわたしの內(nèi)うちでなかったら、らぬかおをしてとお過(guò)ぎておしまいなすったかもれない。それにこっちでこれだけおもっているのだから、みなまでとはゆかぬにしても、このこころいくらかむこうにとおっていないことはないはずだ。なに。あんじるよりはむがやす[6]かもれない。こんなことおもつづけているうちに、おけがすっかりえてしまったのを、おたまはつめたいともおもわずにいた。

【選文注釋】

[1]本節(jié)引自《雁》“二十一”后半部。自從岡田打死蛇后首次和阿玉說(shuō)了話,她心中總是思念著岡田。阿玉厭惡做妾的生活,下決心勇敢地去追求應(yīng)該屬于自己的真正愛(ài)情。她終于等到了末造去千葉,女傭人阿梅回娘家的機(jī)會(huì)。本節(jié)精細(xì)地描寫(xiě)了阿玉下定請(qǐng)岡田進(jìn)屋交談的決心以后的心理活動(dòng),這是她編織的一個(gè)美麗的夢(mèng)。

[2]oeillères:法語(yǔ),馭馬的蒙眼布。

[3]懐かしむる:使……抱有……。“しむる”是文語(yǔ)中表示使役的助動(dòng)詞“しむ”的連體形,上接動(dòng)詞未然形。

[4]追手を帆に孕ませた:“追手”意為“順風(fēng)”,比喻不能錯(cuò)過(guò)已經(jīng)到來(lái)的久盼的好時(shí)機(jī),加以利用。

[5]不為合な目に逢ったもっけの幸:不幸中的僥幸。

[6]案じるよりは生むが易い:一開(kāi)始沒(méi)把握頗為擔(dān)心的事一旦做起來(lái)會(huì)比想象的容易辦到。阿玉留下岡田后再做些什么,此刻她無(wú)法想象。她把岡田看成唯一能把自己從目前的境遇中解救出去的“可以依靠的人”,所以打算不惜犧牲一切去冒一下險(xiǎn)。雖然阿玉對(duì)這樣做還有所擔(dān)心,而且這只是她一廂情愿的憧憬,但是,她畢竟為了改變自己的命運(yùn)而在試圖采取一個(gè)小小的行動(dòng)了。ft

【作者簡(jiǎn)介】

もりおうがい(1862—1922)作者從德國(guó)留學(xué)歸來(lái),發(fā)表了近代浪漫主義的先驅(qū)之作《舞姬》之后,又在《柵草紙》《醒草》等雜志上,發(fā)表了許多文學(xué)、美學(xué)、戲劇方面的文章及譯作,為開(kāi)創(chuàng)“近代”日本進(jìn)行了卓有成效的啟蒙活動(dòng)。以后,又擔(dān)任過(guò)陸軍軍醫(yī)總監(jiān)、醫(yī)務(wù)局長(zhǎng)等官職,直到1916年才辭去官職。1909年作者重返文壇,發(fā)表了《VITASEXUALIS》《青年》之后,又創(chuàng)作了《雁》。與作者關(guān)系親密并深受其影響的日本近代作家有木下圶太郎和永井荷風(fēng)。(作者介紹請(qǐng)參看《舞姬》《澀江抽齋》)


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